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2007年7月

●『青山元不動 白雲自去来』(禅林句集)

●第1100話 『無くてはならぬものは多くない(キリスト)』

●第1099話 『自分で自分を縛り、自分以外を支配しようとする邪心こそが苦の源泉』

●第1098話 『高山流水 只貴知音』

●お知らせ

●第1097話 『剛刀雖利 不斬無罪』

●第1096話 『歸家穏坐(キカオンザ)』

●第1095話 『曹源一滴水(そうげんのいってきすい)』


●第1094話 『乾坤独歩(けんこんどっぽ)』

●第1093話 『大直若屈,大巧若拙,大辯若訥』

●第1092話 『山川草木悉皆成仏』

 

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2007年07月04日

●第1094話 『乾坤独歩(けんこんどっぽ)』

 拙僧は、この四言を座右の銘としている。勿論、平等共生が此の世の真理ゆえ、意識的に何かを避けることは無い。意味は意識的相対的な評価をせずに“大道”に随って生きるということである。つまり、一日一生、何事にも振り回されず、堂々と前を向いてキョロキョロすることなく一歩一歩を道場として、揺るがざる目的に向かい目標に対しては柔軟に対応して生きることである。文字通りであるなら『天地を一人で歩む』であるが、如何なる生命も共生が真理。相互に補完しあってこそ無欠完全なのである。『来る者拒まず、去る者追わず』も同根。『無事是貴人』『日々是好日』・・・、皆同根、同心。これを在家的に言えば、福祉政策の基本理念と同じ。『自立を推進するために支援助成を行なう』ということ。その為には、少なくとも己は自立自律し余裕を持って独歩していなければならないだろう。更に言えば『大人の心』である。相互依存と相互支援では天地の差、乾坤の差異がある。勿論“補完”なくして無欠完全は無いし、生物は自己完結できない存在(現象)故に、個体には相対的表現になるが“強み・弱み”がある。しかし、強みは長所、弱みは欠点ではない。それは“個性”である。それを知っていれば差別や区別は無い。
なお、以下に示すが、この四言は衆智の通り無門慧開和尚の『無門関』の序の結びの一句である。
 『大道無門・千差有路・透得此関・乾坤独歩』。正しく人間完成へ道に入る標語であろう。
 一日一生 慧智(070704)
『願わくは、この功徳を以って普く一切に及ぼし、我らと衆生と皆ともに、仏道を成ぜんことを』
★宣言 衆生無辺誓願度 煩悩無盡誓願断 法門無量誓願学 仏道無上誓願成

 

 

2007年07月03日

●第1093話 『大直若屈,大巧若拙,大辯若訥』

 表題の読み下しは、「大直(だいちょく)は屈(くつ)のごとく、大巧(だいこう)は拙(せつ)のごとく、大弁(だいべん)は訥(とつ)のごとし」。老子道徳経45章の一節にある3句は、余りにも有名で、今更、能書きを垂れる必要はないだろうが、今日は『誤解』について語りたいが故に敢えて話題としました。表題の表面上意味は「真っ直ぐな者は曲がってみえ、技量のある者は不器用にみえ、雄弁な者は口下手にみえる」ということなのですが、言い換えてみると「何事かに優れ巧みな者は、単刀直入で小細工を弄しないから還って下手(へた)に見え、その技を軽々と行うので難しいことのように受け取られないし、言葉の限界を知っているから多弁雄弁能弁という挙動が無いので口下手に聞える。つまり、本当の一流は一流の人間にしか理解されず、二流は二流以下から評価されるので、“一流のマイナー、二流のメジャー”などと揶揄されていますね。
 昨今は上辺(うわべ)時代。偽造変造模造品など“偽物”が一人歩きする。人間も同じ。“偽者”が多い。坊主の格好をしていると坊主だと思う。身なりが立派だと人格者であるとか成功者、有能な者と思われる。正に軽薄短小、“偽者天国”が今の日本。中国や朝鮮半島のような“偽物天国”より始末が悪い。正に“インスタント文化”の母国らしい。その背景には“ウソ”というより能動的に“誤解させる”こと、建前と本音を使い分ける事を良しとする文化がある。建前と本音、言い換えると意識と無意識。本来、“心”は一つなのだが、擬制と擬態の構造は世界中に見られるが、日本は特に顕著。政治の世界では、本音と建前を使い分けられる者が評価される。昨今、“真贋”を見抜ける本物の人間”が、少なくなってしまっている。確かに、目に爽やかで解りやすく、耳に心地良い事柄は一般に受け容れられやすい。安きに流れ、秘すれば華を見抜けない時代に向っている日本をこのままに傍観していて良いはずがない。禅では『大賢は愚に似たり、大智は愚の如し』を見抜けなければ未熟者。当然、公案に対向できない。巷では死語になってしまっている『能ある鷹は爪を隠す』『燕雀、安んぞ鴻鵠の志を知らんや』・・・・。
 吉本隆明の『真贋』という書籍がある。1時間で読めるので一度は目を通されよ。
 我々、活人禅に生きる者は、枝葉末節や“表面”に誤魔化されず“本質”を見抜く力を持とう。それには先ず“無心”。“我”を捨て坐る事だ。

 一日一生 慧智(070703)
『願わくは、この功徳を以って普く一切に及ぼし、我らと衆生と皆ともに、仏道を成ぜんことを』
★宣言 衆生無辺誓願度 煩悩無盡誓願断 法門無量誓願学 仏道無上誓願成

 

 

2007年07月01日

●第1092話 『山川草木悉皆成仏』

 雨が上ったので寺庭の手入れをしようと草刈機を持ち出し、聖観音様と禅堂の間の草むらに分け入った。エンジンを掛け、いざ、草刈をしようとすると、何故かエンジンが止まる。それも連続5回。何かあるかな。別に無い。その時、急に雨が落ちてきた。禅堂の軒で雨宿りしながら、草刈機を調べた。問題は無い。その時、雷鳴が轟き大粒の雨がバケツをひっくり返したような勢いで落ちてきた。しばらく桔梗の花を眺めていると、雨が打つ竹やぶから『山川草木悉皆成仏』と聞えた。人間の都合で無駄な殺生はいけないのは解るが、さりとて・・・・。
 雨が止まない。晴耕雨読。禅堂で一人坐っていた。いつの間にか寝てしまったようだ。辺りが暗い。午後の庭仕事は頓挫。世の中に無駄な命は無い。ただ、人間にとって不都合な命はある。我侭なことだ。雑草という名の草花は無い。小さな草花にも皆、名前があり旬がある。それを一纏めにして“雑草”と言うは人の身勝手。小さければ小さいほどに可憐。観ると刈り取れない。と考えながら踏みつけてもいる。ふと、人間でいるのが辛くなる。病や痛みのせいではない。己の分別、我心。厄介なものだ。
 一日一生 慧智(070630)
『願わくは、この功徳を以って普く一切に及ぼし、我らと衆生と皆ともに、仏道を成ぜんことを』
★宣言 衆生無辺誓願度 煩悩無盡誓願断 法門無量誓願学 仏道無上誓願成

 

 

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