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『其の白を知り、其の黒を守れば、天下の式と為る』は、老子の句として多くの日本人が基本的価値感の一つとしている「知る者は言わず、言う者は知らず」と似た意味を持つ句で、正に“謙虚”、世阿弥の「秘すれば華、秘さざれば華ならず・・」を善しとする日本文化の底に流れる価値です。
『白』は“明白の白。『黒』は沈黙のこと。『式』は規範のことで、前出の句は『本質を知って多くを語らず、淡々と生きてゆくのが価値の有る生き方だ』と解しても良いだろう。
最近、“知ったか振り”をしている評論家がマスコミを賑わしている。何と“ウスッペラ”な社会だろう。また、巷には“肝心な事”や“大事なこと”に薄く、無意味な事に熱くなる者が増えている。まあ、『雄弁というより多弁』と言われる小生のような者かもしれない。雄弁の一言は重く、多弁の一言は軽い。
活人禅会では、『情報断食』を奨めている。一月に一回は、“活字、電波、会話”から完全に離れ、内なる声に耳を傾け、全身を目や耳にして“森羅万象”に溶け込んでみようということだ。その日は農作業や創造活動が良いだろう。しかし、何と言っても“坐禅”、特に“野坐”がお奨めである。
そこで気付くのは『真理は雄弁』、風が、漣が、鳥が、雲が・・・真理を語ってくれる。
そして、明日からは、無駄口を止め、大事な事をしっかりと伝えることを少しだけ心がけて欲しい。
慧智(050402)
人間を幼児・少年・青年・壮年・老年というような主に生物学的な年齢を基準とした段階だけで解釈すべきではと考える事が多い。また、第二の人生だとか、日本ベテランズ倶楽部提唱の11月14日(いいとし)は盛人式とか、成人式は30歳にすべき、ないし15歳にすべき等の議論を聞いていると、“人生”というマラソンのような過程を個人が積極的に考える上で何らかの標準的な指標が必要なのではないだろうか。
是までの人生を振り返ると、社会適応を目標とした“学習期”、学習の結果を利用して社会の最前線に参加している“自利の期”、第一線での仕事を退き社会の後方支援に徹する“利他の期”そして、出来る限り健康でそれまでの知識や経験を後世に残す“総轄の期”といった区分が出来るのではないだろかと思っている。それは人により異なるだろうが、25歳までは勉強、55歳まで最前線、70歳までは後方支援、それいごは悠々自適といういうようなイメージが生まれてくる。『学んで、行い、育てて、去る』。人間の一生とは、そのようなものだろう。
慧智(050401)